2017年8月6日(日)主日礼拝説教

『何よりもまず』 井上隆晶牧師

フィリピ4章4~7節、マタイ福音書6章25~34節

今日8月6日は、72年目の広島に原爆が落とされた日です。多くの人の犠牲によって私たちに平和がもたらされたことを思い、犠牲者の皆さんに哀悼の意を捧げたいと思います。昨日もTVで池上彰さんが自衛隊についてお話をされていて大変勉強になりました。いろんなことで思い悩むことの多い私たちですが、どのように日々を生きるべきかを考えてみたいと思います。

 

❶【空の鳥を見よ、野の花を見よ】

「自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。」(マタイ6:25)今、わが家では粉緑茶を水で薄めて飲んでいます。万里子さんが動脈硬化にいいというのでスシローで買って来て実践しているのです。TVを見ていると、毎日のように健康食品やサプリメントなどを宣伝していて、「あれがいい、これがいい」というのでテーブルの上はメモばかりが増えています。健康で長生きをしたいという思いは、昔も今も変わらないようです。

「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうち誰が、思い悩んだからといって寿命をわずかでも延ばすことができようか。」(同6:26~27)これは人間は何も働かなくてもよいという意味ではありません。鳥たちは神様に養われて今日を生かされているというのです。続いてこういわれます。「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。…今日生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたはなおさらのことではないか。」(同6:28~30)神がこれほど小さな花に配慮されているのに、あなたのことを考えていないと思うのですかというのです。ここでイエス様は空の鳥や花を用いて、あなたがたはこれらのものよりもはるかに素晴らしい者なのだから、神様はあなたがたのことを心配して下さっていることを信じなさいというのです。

  • この鳥の話を聞くとアシジのフランシスコを思い出します。彼は1182年イタリアのアッシジで生まれ、父は豪商でした。若いフランシスコは陽気な性格で遊び事や大盤振る舞いで過ごしました。フランシスコはある時戦いに出て捕虜になり、重い病にかかり、落ちぶれて故郷に帰ってきました。ある日彼が荒廃した聖ダミアノの小聖堂で、祈っていると「フランシスコよ、わたしの家を建て直せ」という声を聞き、父の家から貴重な品々を持ち出して売り払い、そのお金を教会の窓から投げ込んで帰りました。父は憤り、そういう信心ぶりはやめるように命じますが、フランシスコは志を変えないので、父は勘当しようと司教の許へ引っ張って行きました。しかし彼は持ち物一切と衣服まで父に返し、主のみ心に従う決意を示しました。「帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない。働く者が食べ物を受けるのは当然である。」(マタイ10:9~10)という御言葉を文字通り守ろうとして、ただ一枚の灰色の粗末な服をまとい貧困に安住していきました。

実際、ペットのメルクを見ていると、こいつは何と自由なんだろうと思います。この子の財産といえば寝るためのベットとエサを入れる器だけです。人間に本当に必要なものとは信頼だけではないのかと思うのです。思い悩まないで、神に対する信仰を持てと言われているのです。

 

❷【神の国と、神の義を求めなさい】

「あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。」(マタイ6:32~33)「神の国」とは「神の支配」という意味です。神の国は私たちの心の中に既に始まっていますが、それはまだ小さいものです。これがどんどん大きくなることを求めなさいというのです。私の心の中に、神による平安、救い、喜びが増していきますように。そしてまだ心の中に神の国が来ていない人たちが大勢います。その人たちに神の国のすばらしさを伝えることができますように。「神の義」とは「神様の正しさ」です。自分の正しさでは駄目です。人間の正しさは比較にしか過ぎません。神様が求められる正しい生き方をしなさいという意味です。キリストを真似ることです。そしてキリストのように生き、考え、行動し、愛し、赦すこと、それを目標としなければいけません。キリストが地上に現れた神の完全な正義だからです。

また「何よりもまず」とあります。口を開けば「生活の思い煩いや、体が痛いとか病気の話」であってはならないのです。私たちの関心事がまず「神の国と神の義」でありますように。「そうすればこれらのものはみな加えて与えられる。」とあります。神の国と神の正義を真っ先に求めて生きなさい。そうすれば、人生の一切の必要は与えられるというのです。

 

❸【明日のことまで思い悩むな】

「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」(マタイ6:34)私たちはいつも「こうなったらどうしよう、ああなったらどうしよう」と悩みます。しかし、なるかどうか分からないものをなる前に悩んだところでどうなるのでしょう。明日を想像して心をすり減らし、思い煩い、心配してみてもどうにもならないのです。この悩むということは罪と関係しています。動物は悩みません。人間だけが悩みます。神を信じていないからです。では「明日自らが思い悩む」とはどういう意味でしょうか。明日が自分に代わって悩んでくれるとでもいうのでしょうか。そうではないと思います。人間には明日があるかどうかは分かりません。明日が確実にあるのは神様だけです。だから神様自らがあなたの明日を考えてくれる、悩んでくれるという意味でしょう。「その日の苦労は、その日だけで十分である。」と言われます。明日のことを考えないで、今日のことだけを考えて、今日を一生懸命に生きなさいというのです。

・「最良の時とは現在の時。」(クローデル)

・「考え込んでばかりいる人は、歴史を作り出せない。」(ジェンティーレ)

・「毎日を人生の最後の日とみなして過ごす人は賢者である。」

(マルクス・アウレリウス)

 

  • 先日TVで面白いことを聞きました。やらなければいけないことがあるのに、なかなかやる気が出ない時、やる気を出す方法は「とにかくやり始める」ことだといいます。やりたくなくても行動を起こすことで、やる気物質「ドーパミン」が分泌されます。小説家の村上春樹さんは、書くことが決まっていなくても、毎日4~5時間は机に向かうようにしているそうです。それによって「やる気のスイッチが入る」とおっしゃっています。

いつも私が言っているように、「まず礼拝堂に立って祈り始める」というのは理に合っています。そうすると信仰が湧いてきて元気になるというのは嘘ではないのです。

 

  • アメリカのカンザス州にフロイド・シュモーという人がいました。シュモーは、両親からの命の大切さを教えられて育ちます。森林生物学者としてワシントン大学で講師をしていましたが、太平洋戦争がはじまり、日系職員や学生の連行が始まりました。彼らはアメリカ西海岸からの退去命令が下され、従わない者は収容所に強制的に送られました。シュモーは大学を辞め、日系人の支援団体に就職し、アメリカ中東部で日系人を受け入れてくれる職場や学校を探しました。1945年 8月6日広島に原子爆弾が投下されました。10万以上の命が一瞬にして奪われ、街は焼け野原となりました。大統領は、原爆投下には戦争を早く終わらせる効果があると演説し、日本は降伏してアメリカは祝賀ムードに包まれていました。しかし「どんな理由があろうと、10万人もの人々が犠牲になっていいはずがない。」とシュモーは広島に家を建てる決断をします。そのための寄付を募りますが人々の理解は得られませんでした。そこでシュモーは、アメリカ政府や軍、日本の牧師や広島市長などに手紙を書き、広島に家を建てることの意義を伝え続けました。建築資金を集めるために毎日募金活動を続け、人が集まる場所ならどこにでも足を運びました。少しづつ賛同する仲間も増えていき、やがて集まった募金は1400万円になりました。そして原爆投下から4年後の8月に彼らは広島の地にきて、広島市から土地を提供されます。建築現場にたてられた看板には英語で建設の理念が書き込まれていました。『共に家を建て 互いに理解を深めることで平和が訪れますように』市内の教会に寝泊まりしながら、週に6日働きます。 54歳のシュモーも、若者と同じ仕事をこなしました。時には「原爆を落としたアメリカ人め!家族を返せ!」と罵声を浴びせられることもありましたが、それでもどんなことを言われようと、今できることを精一杯やるしかありませんでした。やがて地元の人々が作業を手伝ってくれるようになっていきます。4年続けて来日し、広島に21軒の家を建てたあと、長崎にも多くの家を建築します。広島に一軒だけ現存する家があり、『シュモーハウス』と名付けられ資料館となっています。その功績を称え、日本政府は1982年に勲章を授与、翌年には広島市特別栄誉市民になりました。16年前、105歳でその生涯を閉じます。平和への思いを貫き通した人生でした。

こんな人がいたのだという事を初めて知りました。シュモーさんのすごいところは、「自分の出来る精一杯のことをした」ということです。諦めなかったそのスピリットです。

先日、朝の祈りの時に聖書を読んでいたら「それをここに持ってきなさい」(マタイ14:18)という言葉に目が留まりました。それというのは「五つの大麦パンと二匹の魚」のことです。この「五つの大麦パンと二匹の魚」とは私たちの事です。1万人以上の飢えている人に、これだけでは何の役にも立ちません。でもそれをキリストの所にまず持ってゆくのです。そしてキリストの手の中で祝福され、キリストに祈られ、キリストに用いられることが大事なのです。自分を献げることが求められていると思いました。神様が必要としているのは私たちの立派さや能力ではないと思うのです。少しでも神様の役に立ちたい、少しでも苦しんでいる人の役に立ちたいというスピリットです。シュモーさんのようなスピリットです。それを下さいと祈りたいと思います。大きいことを考えなくてもいいんやで、今日一日、まず自分を神様に委ねて、今日あなたができることを勢一杯すればいいんやでとイエス様はおっしゃっているように思います。